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「安保関連法」に反対する抗議声明

 

 安保関連法案が、2015年9月19日未明に参議院本会議で「可決」「成立」しました。17日の参議院特別委員会で行われたという「採決」は速記録には「聴取不能」とあり、「成立」後、与党判断で会議録に「議事経過」として「可決」等々と記載される、異例の「成立」です。また、内閣が集団的自衛権の行使を「容認する」にあたって、審査依頼を受けた内閣法制局は翌日には電話一本で「意見なし」と回答し、その検討過程を公文書として残していないことも明らかになりました。私たちは、憤りをもって法案の「成立」をはじめとする一連のこのような過程に抗議し、「安保関連法」の非成立の確認、ないしは「安保関連法」の「執行停止」ならびに「廃止」を求めます。

 

1、立憲主義の否定

 まず、2014年7月1日の「閣議決定」による集団的自衛権の行使容認から今回の参議院「採決」に至る過程のすべてが、内容上、憲法9条に違反するのみならず、手続き上、憲法99条の国家公務員の憲法遵守義務に反するものです。言うまでもなく政府や国会は憲法の拘束を受けます。憲法は、国民を国家権力の専制から守るためにあります。その政府や国会が、これまでの政府見解では憲法違反にあたり、専門家のほとんども憲法違反だと指摘する集団的自衛権の行使を容認し、これにあわせた安保関連法を制定することは、行政や立法に対する憲法の制約を否定することになります。どうしても必要だというなら、憲法改正手続きを踏んだうえで法案の検討をすすめるべきです。

 また、審議期間中に国会の内外で、与党議員の一部から現行憲法下で認められた国民の権利や憲法そのものを否定するかのような発言が繰り返されました。「法的安定性は関係ない」、「そもそも国民に主権があることがおかしい」等々。しかし、内閣や国会議員の持つ権限こそ、憲法の下、主権者たる国民から負託されたものにすぎないのです。ですから、これら一切は、無知、傲慢、横暴以外のなにものでもなく、立憲政治を否定するものに他なりません。

 

2、民主主義の否定

 さらに、この一連の過程は国会を軽んじ、民主主義を否定しかねないものでした。民主的な決定とは単に多数決原理にのっとって決めればよいというものではありません。多数決で決まるものなら、そもそも議会を開く必要などありません。国会で法案を審議にかけるにあたって望まれるのは、反対派の意見にも耳を傾け、国民・市民の意見に耳を傾け、意見を交わすなかで当初の立場を変えてでも、できるかぎり多数の意見を反映するような決定を下すことです。これが民主主義の本来の姿にほかなりません

 ましてや有権者の四分の一程度の支持しか受けていない「多数派」は、集団的自衛権の行使容認の「閣議決定」の是非も、「安保関連法制」の是非も、前回の参議院選挙ではまともに争点として取り上げていませんでした。つまり、民主的に選ばれた国民の代表としてこうした法案を出す資格があるのか、疑いを向けられてもおかしくないのです。

 ところが、参議院特別委員会での質疑では内閣総理大臣をはじめ、関係閣僚はまともに答弁すらできず、委員会はたびたび中断し、多くの不明な点を残したまま「採決」が行われました。衆参44回の委員会審議中に発生した中断は225回にも及ぶとのことです。

 こうした審議の最中、国民・市民の法案に反対する声はますます大きく活発になるばかりでした。参加者が10万人を超える大規模な反対デモ等も行われました。それにあわせて野党も一部をのぞけば反対で歩調をあわせていくようになりました。各種世論調査でも安保関連法案は説明不足が8割、今国会での採決反対が6割となっていました。が、政府・与党の態度はいささかも変わりませんでした。

 さらに、憲法学者の大多数や弁護士会、そして歴代の内閣法制局長官、最後には元最高裁長官までもが「違憲である」と指摘しているにも関わらず、政府・与党はこうした法学・法曹関係者の声にもいっさい耳を傾けようとはしませんでした。むしろ、返ってきたのは「いまは一私人にすぎない」とか「国民の理解を得る必要はない」といった乱暴で独断的な言葉でした。そして、地方公聴会直後のあの参議院特別委員会の「採決」ならざる「採決」です。国民・市民や専門家の声に耳を傾けることができず、かえって与党内部の締め付けをはかり、強引にことをすすめるような政府・与党の態度は、到底、民主的と呼べるものではありません。

 

3、自衛隊と戦闘行為

 他方、この「安保関連法」は、派遣される自衛隊員のことをどこまでまともに考えているのかもきわめて疑問です。審議過程で派遣先の自衛隊員がどのような立場におかれるかよくわからないことがますますはっきりしてきました。「安保関連法」では、「イラク特措法」の「非戦闘地域」での支援活動に代わって、前線にいる他国軍の「後方支援」が認められます。具体的には、弾薬等の輸送から「戦闘作戦行動のために発進中の航空機に対する給油及び整備」まで「周辺事態法」では認められなかった活動が「後方支援」として可能になります。ほかにPKOの「駆けつけ警護」も可能になります。

 こうした「後方支援」では憲法が禁じる武力行使との一体化は避けられないでしょうし、「駆けつけ警護」とあわせて自衛隊が戦闘状況に巻き込まれる可能性はきわめて高いと言わざるをえません。たとえば、「後方支援」で武器使用が認められるのは「非戦闘地域」と同じ「正当防衛」や「緊急避難」のみ。ですが、「非戦闘地域」にあったはずのサマワ宿営地ですら13回にわたって攻撃を受けていたことが、国会会期中に公開された自衛隊の文書で明らかになっています。さらにPKOの「駆けつけ警護」になると警察行動として武器使用の拡大が認められます。「駆けつけ警護」はPKO協力法下では、やはり憲法が禁じる「国や国に準ずる組織」に対する武力行使につながりかねないとして認められてこなかったものです。ところが、任務や武器使用目的の拡大、保護されるはずのNPO等の安全について突き詰めた議論はなされていません。

 そのうえ、国会会期中に野党が暴露した文書により自衛隊にたいする文民統制がうまく働いているかどうかまで疑わしくなってきました。本来なら、法案を検討する以前にPKO活動の実態や陸上自衛隊のサマワ派遣の実態について再検証がなされてしかるべきだったのです。

 ところが、このように自衛隊員に何が、どこまで許されるのかはっきりしない法案が「可決」されてしまいました。本学卒業生のなかには自衛隊員もおり、われわれとしては見過ごすことのできない問題です。これまでなら災害時の救援活動等で活躍してきた彼や彼女らが、戦場で命の危険にさらされ、場合によっては人を殺すことになりかねません。また、徴兵制はないとしても、米国の事情等を見れば、誰が自衛隊員になるのかという「経済的徴兵制」への疑念や自衛隊業務の一部民間への移譲と拡散の危険性が懸念されます。やはり、こんなかたちで決めるべきではないのです。

 

 私たちは、立憲主義を否定し、民主主義を否定し、国民の命を軽んずるなかで「成立」させた「安保関連法」、ならびにそれを「成立」させた政権に強い危惧の念を覚えます。また、学問の世界に身を置く者として、議論を尽くさず専門家の見解を安易に無視したり、学問の軍事利用を進めたりすることも許せません。平和国家として知られてきた日本が武力を行使できる国になったとき、一体どんなことが起こるのでしょう?国際社会でどう受け止められるのか、とりわけ東アジアの緊張を高めることにならないかなど、懸念が残ります。この国の行方を大きく左右するであろう「決定」なのです

 「安保関連法」への国民・市民による反対運動は、「可決」後のいまも続いています。私たちも、この違憲立法の適用を許さず、「安保関連法」の非成立の確認、「執行停止」さらには「廃止」を求めて運動を続けて行くことをここに表明します。

 

                        「安保関連法」に反対する中京大学有志の会

                         2015年12月1日   

  

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